使わない部位はすぐに衰える

昨日、夫の弟が「Ironman」のレースに出場し、10時間で完走した。

 

「Ironman」ートライアスロンの狂人版だ。「鉄」というだけあって、考えられないような距離をやる。

 

3.86km泳いだ後

180.25km自転車に乗って、その後

42.20km(フルマラソン)をやる

 

これって全部一緒にやるものなの?

 

距離の感覚が違いすぎて、私には理解できない領域だ。

 

一方、私は昨日8kmちょっとの距離をだらだら走っただけで今朝は筋肉痛という…。

 

ここ最近平日サボり気味で、先週末泊まりで出かけていて2週間ぶりに走ったらこのザマで気をぬくとすぐに衰えるということを改めて実感した。

 

これは全てのことに言えることだ。なかなか感じることのできない「脳みそ」や「体の内部」はどんだけの衰えが進んでいるのだろう。

 

歳を取っていくことはある頃から成長ではなく老化を呼ばれる。そして老化が肯定的に捉えられることは少ない。

 

若くてピチピチで経験が少ないことを「よし」とすれば、歳を重ねたしわしわの経験者は「よし」には当てはまらなくなる。

 

 

 

 私はとりあえず今の所、歳を重ねていくことが嫌ではない。というか、来た来たという感じだ。

 

シミもシワも白髪も抜け毛も老眼も物忘れもある。耳も遠くなって来たと思う。

 

世の中で言われるところの老化の道を順調に進んでいる。

 

でもそれとは別に今の年齢になって気づけたことがある。観念としては分かっていても実感することがなかったことを実感することができるようになって来たことがたくさんある。

 

歳を重ねれば重ねるほど、コツコツ継続するということが大事だと実感することが増え、自分を大事に扱うという意味が少しずつ分かってきた。

 

当たり前のことなんて、本当に何一つないという感覚を自分自身に対しても、また自分を取り巻く環境に対しても実感することが多くなった。

 

こういうことを体感できるようになって、すごく嬉しいと思っている。

 

 

歳を重ねることは誰も避けることができないのに、どうして「避けたいもの」みたいになってしまっているのだろう。もっと歳を取ってきたら私もそんな風に思うのだろうか。

 

歳を取ることを「失うこと」と捉えるから怖いのか。「変化すること」「経験を重ねて豊かになっていくこと」「自然の流れであること」と思っても怖いのか。

 

これからもっともっと「あったものがなくなって」「できたことができなくなる」その部分に集中してしまうと確かに怖いかもしれない。できればそこで終えることなく、人生は常に別れと出会いを繰り返し、何かを手放したら何かを得て深くなっていくと思いたい。

 

と、こんな風に理想を考えられるのは自分が恵まれた状況にいるからだ。そういう風に思える余裕がある状況に置いてもらえているからだ。

 

違う状況にいたら、違う状況になったらこんな風には思えないかもしれない。もしくは観念としては分かっていても、いろんな言い訳をしてしまうかもしれない。

 

わからないことだらけだ。

 

話もまとまらなくなってきたところで、いろいろなことに感謝しながら今日1日を過ごしたいと思う。

 

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Good morning