ごきげんな日

 

 

昨日の11月10日(金)、私はなぜかすごく「ごきげん」だった。

 

なにか特別普段と違ったことがあったわけでもない。しいて言えば、朝、空気がキンキンに冷えていて風が強く、青い空に金色の秋の葉っぱが泳いでいた。

 

今年9月からの私の新しい日課となった息子と歩いて登校することは、その朝ももちろん行われた。冷たい金色の秋の朝の風の中、カサカサカサカサ、これまた金色の乾いた落ち葉を蹴りながら歩く。

 

息子はしきりに「お餅を食べたい」と言っていた。

 

年中さんまでしか日本で過ごしていない幼い息子の日本の記憶はたぶん断片的であると思う。その記憶のひとつが幼稚園で行われた餅つきのようだ。

 

「ほら、こうやってさ」

 

餅つきの真似をする息子。

 

「ああやってお餅作って食べたいな。」

 

私にも蘇る5年前の記憶。今では日本に住んでいても貴重な体験となるだろう臼と杵での餅つき。あの日も、今朝のように晴天で低い太陽が金色にみんなを照らしていた。

 

 

 

息子を送り届けた後、私はいつも通り出勤した。

 

ご機嫌な気分は続いていた。

 

こんな風に毎日が過ごせたらいいのに。

 

私はフランス人の同僚に「今日はなんだかすごくハッピーなの。たぶん風のせいだと思う。」と伝えた。彼女は不思議そうな表情を浮かべながらも「それはいいことだわ。そういう嬉しい気分に気づけることって大切よね。生きてるとついついネガティブな気持ちに集中しがちだから。」と言った。

 

感情ほど信頼のおけないものはない。

 

でもこれなしには生きていけない。たぶん。

 

ごきげんな日。

 

ごきげんな日。

 

ごきげんななめな日があったとき、ごきげんな日の存在を見つけられるようにいつも頭の隅っこに置いておこう。

 

https://www.instagram.com/p/BbSvMIzFfex/

#golden

正しい有給の過ごし方

私は今日、有給を取った。

 

午前3時55分、いつもの月曜日のように目覚め、もそもそと二階の寝室から一階の台所まで下りてゆき、セットしておいた熱々のコーヒーをコップに注いでクリームをちょうどいいキャラメル色になるように加える

 

パソコンの前に座り、仕事は休みとはいえ仕事のメールをチェックして何も問題がないことを確かめる

 

 

「私だけ、休み」

 

すごい特別感が漂っている

 

私は休みでも家族は仕事や学校がある。暗いうちに出勤する夫を見送り、目覚ましでは起きない娘を起こし、子供達のお昼を作り、起こされずに起きてきた息子に朝食を用意し、自転車で登校する娘を見送り、息子と歩いて小学校へ行く

 

「今日、1日どうやって過ごそうかなあー」

 

楽しみなことが起こる前のこの高揚感はたまらない

 

前回の有給では市の美術館へ行って、そのあとラーメン屋でお昼を食べた。あの時は夏だった

 

今日は、ずっと行こう行こうと思っていた図書館に行くことにした

 

外は10月の半ば過ぎにしては湿度が高くちょっと蒸していて曇り空

 

自転車に乗って落ち葉の舞うトレイルを抜けて図書館へ向かう

 

なんという開放感!

 

図書館には少しだけれど日本の本が置いてある。料理本一冊(料理嫌いだけど)と村上春樹の短編小説集を一冊借りた

 

図書館近くのオーガニックメインのオサレなお店でチョコクロワッサンを一つ買った

 

自転車に乗って、落ち葉がひらひらと舞う中を走る

 

あああああああああああああああ

 

なんてすてきなのーーーーーーーーーーーーー!!!!

 

(自分の表現力の乏しさがもどかしい)

 

ニュースでは悲しく不安で憤りしか感じられないようなものばかりが流れてる

生きてりゃ嫌なことも起こる

 

でも、人生には、世の中には、美しく尊く幸せなものがたくさんあると信じたい

そういうものをちゃんと見つけられる心を持ち続けたい

 

そう思ったお休みだった

 

 

今日みつけたどんぐり。デザインといいフォルムといい完璧。

https://www.instagram.com/p/BamnolPF-Q4/

#nature #design

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうか

今回のカリフォルニアの火事はいつもにまして衝撃的だった。

 

私がカリフォルニアに住んでいた頃も、山火事はしょっちゅう起きていた。水不足で乾燥した大地は一度、火がついてしまうとあっという間に燃え広がり人間の手には追えなくなる。

 

地震津波、そして火事で大事にしていたものを全て失うということ。大事な人を失うということ。

 

メディアに流れる画像を見ながら、涙がでた。

 

もしも自分の身に起きたら、生きていきけるだろうか。強く希望を失わずにいられるだろうか。考えただけでも絶望しそうだったが、今、それが想像ではなくその真っ只中にいる人たちがたくさんいる。

 

どうか、生きる希望が持てますように。